今月のメッセージ

2018年7月「神のくださる愛の砂袋」


  親は自分の子供に強くたくましく生きてほしいと願っています。どうすれば強くなれるでしょうか?

 

スポーツ選手などの訓練の一つに、地面においた重たい砂袋を、腰にまいたひもで引っ張るというのがありますね。わざわざ、重たいものを引っ張ることで、足腰を鍛えるわけです。何かの抵抗があると強くなる、他にもそんなことがあるでしょうか?

 

子供達にとって、ある程度の不衛生は健康維持に必要なのだ、というおもしろい記事を読んだ事があります。「昔の親は、ばい菌や細菌に対して、今の親のように神経質でなかった、平気で子供たちは泥まみれの汚れた手を口に入れていたし、汚いままで食べてもいた。しかし、抵抗力が体についていたので、病気にもならず元気であった、しかし、今の子供たちは、大事にされすぎて、抵抗力を失いひ弱になったのではないか・・・」という事です。

 

 生きていくうえでも、いろいろな抵抗があったほうが、人間的に強くなるというのは、確かに真実です。聖書にも適度な訓練や鍛錬が、私たちにとって大切であることが述べられています。

 

「およそ、鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。だから、萎(な)えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい。」ヘブライ人への手紙 12章11節~12節

 

 誰しも、できれば試練はない方がうれしいですが、現実には人生に試練はつきものですね。それならば、いっそのこと積極的に受け止めようと心を決める、立ち向かう事に心を定めるとどうでしょうか? 不思議と何かしかの勇気がわいてきませんか。また、人生はもともと苦しいものと定義すると、少しのよい出来事にも喜びが沸きます。反対に、人生は安楽なものだと思っていると、なぜこんな事が次々に起こるのかと、心休まる暇はありません。

 

 感謝なことに、先ほどの聖書では、試練はむしろ良い事だと積極評価していました。後になると試練で鍛え上げられた人には、豊かな実が結ばれるからです。重荷がやってくるとき、私たちはぐっと、ふんばらなければなりません。歩こうにも、腰に大きな重りがつけられたように感じるし、心も否応なくぎしぎし痛みます。

 

 その状態のままで、今日を歩み、明日もまた歩まなければなりません。しかし、神様のお許しにならないことは起こらないと積極的に受け止めて歩んでいますと、時がくれば、心の足腰が鍛錬され、強くなっているのに気がつきます。

 

 「強くなった!」何と嬉しい事でしょう。

 

 神様は、あなたを試練に弱い「ひ弱なもやしっ子」のままでいてほしくないのです。もしそのままの状態ですと、いざという時に、ひどい倒れ方をするかもしれないからです。だから、そうならないように「わが子よ。強くなれ」と父なる神様は願っておられます。

 

 今あなたの腰にぶらさがっている、重たい砂袋を神様からの「愛の砂袋」と受け止めてはいかがでしょうか。そして祈りのうちに「はい、神様、これがあなたからのものであれば、謹んでこの重荷をお引き受け致します。」と、きっぱりと申し上げましょう。要はその決心にかかっています。もしそれができるならば、苦しみの中でも、鍛えられる喜びがわいてくる事でしょう。

 


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