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2016年5月「数え切れないほどの平凡な事」

 A先生は、テレビのインタビュー番組の中で「青春してますか」という、言葉の言いまわしがとても印象に残りました。それに続けて、もし誰かから青春だけではなく、人生していますか?と聞かれたら、どう答えるかを考えたそうです。

 

 「人生してますか?」 ユニークな問いかけですね。皆さんなら、どう返答しますか?

 私自身は、「人生してますか?」とは、人生を精一杯生きているか、生き生きと暮らしているか、やりがいのある仕事をしているか、といったニュアンスが強いように感じました。しかしこの先生の受け止め方は、少し違っておりました。「人生してますか?」とは、「毎日、平凡な苦労を積み重ねているか」という意味だというのです。

 

「人生の基本は地道に、平凡で、ある程度の苦しみと忍耐を伴う日々を送っていくということ。節目、節目には結婚式とか、卒業式とか、入社式とか、とてもうれしい事がありますが、それは数少ないことであって、日々の生活はそれぞれに決まったことの繰り返しなのです」と。

 

 なるほどと思わされ、また、何かホットします。人生というのは、まことに平凡な日々の繰り返し・・・。私たちは往々にして「平凡な人生」はつまらない、何か自分の人生にも、際立った事はないだろうかと思いがちです。

 これに関連して、聖書はどう言っているのでしょうか?

 

私達は、神の中に生き、動き、また存在しているのです。」使徒言行録17章28節

 

 ここには、平凡な事、平凡でない事の区別はありません。小さな出来事も、大きな出来事も、すべてが神様の大きな御手の中にあるからです。ですから何げない事にも感謝できる心が大切です。

 

 今日はよい天気で洗濯物がよく乾いた、今朝は膝の痛みがいつもより楽だ、あるいは久しぶりにかわいい孫に会えた、昨晩、夫は会社から戻って、何を思ったのか「いつもすまないね。」と感謝の言葉を言ってくれた、等々。

 これらを神様からの恵みとして覚える、意識して感謝する、そして心から暗さや不満を追い出すために、是非小さな感謝を探しましょう。

 

「私達は、神の中に生き、動き、又存在しているのです。」

教会では「霊的なクリスチャン」といか言いますが、それは、小さな出来事の中にも神様の恵みを感じ取って、感謝、感謝と言いながら、生きている人のことでもあります。 星野富弘さんの詩です。

 

 「今日も一つ悲しい事があった。

今日もまた一つ、嬉しいことがあった。

笑ったり、泣いたり、望んだり、あきらめたり、

憎んだり、愛したり、そして、

これらの一つ一つを柔らかく包んでくれた

数え切れないほど沢山の平凡なことがあった。」

星野富弘氏は、クリスチャンの詩画作家です)