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2016年9月「あなたは神の尊い作品」

ある日の公園での出来事。てくてくと食後の散歩に出かけた時、小さな池にさしかかりました。池のほとりにカメラの三脚が並んでいるのが目にとまりました。中年の男性達が5,6人、池で何かの出現をまっている様子です。こんな所で一体、何の撮影をするんだろうと、興味がわきました。そこで近づいて聞いてみると、朝からずっと「カワセミ」という小さな小鳥が、この池に飛んでくるのをまっているとの事。よく見ると、池の真ん中あたりに細い木の枝のようなものが突き出ています。どうやら、カワセミはよくその小枝に止まって、そこから池の魚を狙うようです。

 

 

カワセミは胸がオレンジ、背中がコバルトブルーで大変美しく、バードウオッチャーなら一度はカメラに収めたい鳥です。それにしても朝からじっと同じ場所で、いつ飛んでくるとも知れない鳥を待っている忍耐と執念に、私は驚かされてしまいました。声をかけた、その方が言われるのに、野鳥の写真は何百枚を撮影しても、いい作品になるのは1枚か2枚なのだそうです。何と、気の遠くなるような話でしょう。私は、この方から満足のいく作品への情熱のすごさを教えられたのでした。

 

 

ところで聖書は、私達人間一人一人は、かけがえのない神様の作品であるといっています。

 

「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」エペソ2:10

 

 

 

 全能の神様に失敗はありませんから、一人一人は最高の作品に違いありません。でも、とてもそんなふうには思えないという反論が聞こえてきそうです。ではなぜ私は、こんなに頭が悪いのだ、不恰好なのだ、のろまなのだ、病弱なのだ、といわれますか? 確かに、私達は生まれも、育った環境も、能力も違います。それでも、やはり一人一人は、神様の深い御旨の中で、神様の愛情をうけて、この世に生まれてきたのです。私達は他者と比べて一喜一憂しながら生きるのでなく、世に生み出して下さった神様に感謝して、それぞれのユニークさの中に生きる時、喜びがうまれてきます。

 

 

 わたしは、ある年の初め「思いっきり私らしく生きる年」と標語を作りました。これが結構、私のその一年を生かしました。人は放っておくと、すぐに他の人と自分を比較して、みじめになったり、高慢になったりするという事を、身をもって知っているからです。

 

 

 あなたはいかがでしょうか? 自分のことが好きでしょうか? それとも嫌いでしょうか?

 今覚えていただきたいのです。バードウオチャーの人たちが忍耐と期待をこめて一枚の気に入った写真撮影にエネルギーを注ぎ込んだ以上に、神様はあなたの誕生に熱い思いを注がれました。あなたは最高の愛を受けて、この世に生み出されました。「ハッピ・バースデー」という時、私達は、あなたがいてくれて有難う、生きていてくれて有難うと、ただそれだけを喜び合うのです。なぜなら、私達はみな神様の作品だからです。