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2017年1月「今日こそ主の御業の日」

新しい一年が始まりました。過ぎた一年には、様々な災害があり、事件があり・・。今、私が、ここにこうして生きている事は、決して当たり前ではないことだと思わされます。そして、大きな災害や苦しみに出会って、新年を迎えてなお悲しみの中におられる方々には、心から神様からのお慰めを祈ります。

 

 

今日、開く聖書箇所は、詩編118編24節で「今日こそ主の御業の日。今日を喜び祝い、喜び踊ろう。」という所です。

 

 

そこで第一に覚えたい事は「今日こそ主の御業の日」という言葉です。詩編の記者の目は、過去でも、未来でもなく、今日というこの日に向いています。今日というこの日は、神様がくださった日、神様の御業の現れる日です。

 

2017年の毎日、毎日が神様のお恵みのうちに与えられる日、毎日、毎日が神様からのプレゼントです。振り返る時、つらい日もあった、未来を見ると不安もある。しかし、神様の御心は過去を悔やむことでも、未来を思い煩う事でもありません。そこに生産的なものがないからです。

 

 

 今日が主の御業の日と信じる事が出来れば、必然的に私達は、今日を喜び祝い、喜び踊れるようになれます。「今日を喜び祝い、喜び踊ろう」とする人は、与えられたその日を精一杯生きる人です。目の前の時間だけが全てです。そこに集中します。苦しい時も、せめて今日床に就くまで頑張ろうと言い聞かせると、心は楽になります。

 

 マタイによる福音書6章34節には「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは、明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」と言っています。新しい年、心配事が起きる度に、神様に丸投げして軽くなりましょう。

 

 

 第二に覚えたいことは、「喜び」という言葉が二回も繰り返されていた事です。聖書の語る喜びは、特別なニュアンスを帯びています。人は何か良い事があると喜び、悪い事が続くと喜べない、これはとても自然なことです。しかし、喜びは選び取ることも出来ます。例えば、重い病を宣告されたとします。即座の反応は驚きであり、絶望です。

 

  しかし、しばらくすると、神様の小さな声が聞こえてきます。「私はあなたを愛している。私はあなたともっと親しくなりたい。だから、私はあなたが病に苦しむこともよしとして、病をあなたの所にもたらした。」と。その事を証明するかのように、友人は残された日々が限られた時も、感謝に溢れるメールを何度も送ってきました。

 

  「ああ、私は何と愛されていることか。こんなに素晴らし医療スタッフ、こんなに多くの祈りの友、ただただ感謝」。重い病に侵される時、「これは私の運命」と、諦める方もおられるでしょう。しかし、神様への信仰は、まったく違った光を放ちます。私達に最善をして下さる神様への信頼があり、神様をそば近く感じられる喜びがあるからです。

 

 

 さあ、2017年のスタート。どんな日々が待っているのでしょう。どんな事が起ころうと「今日こそ主の御業の日」です。