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2018年1月「今年も脱皮を繰り返しながら」


 新年明けましておめでとうございます。

 

ずいぶん前の事になりますが、ある教会員のお宅を訪問しました。その方のお母様は、川柳を趣味にされていました。川柳は人間生活のあれこれを、限られた言葉で表わし、読むのだそうです。ぜひご紹介下さいとの私の言葉に、初めはたいしたことがないからと、躊躇(ちゅうちょ)されていましたが、私のしつこいお願いに負けて、一つの川柳を紹介下さいました。こんな川柳です。

 

「前向きに生きる脱皮を繰り返す」

 

なるほど、すぐにイメージのわく、素晴らしい川柳だと思いました。

 

 脱皮といえば、小学校の教員をしていた頃、教室の後ろの棚で青虫を飼っていたのを思い出します。この青虫がさなぎになり、やがて蝶になっていくのを観察する理科の授業の一環です。あのくねくねした、そして全身に毛のはえた青虫が、やがて姿を少しずつ変えて茶色のさなぎになり、そうしてついにはそのさなぎの皮が破れて蝶が姿を現します。

 

 さなぎからふ化したばかりの蝶は、羽もまだぐしゃぐしゃです。しかし、時間の経過とともにしっかりと伸びた美しい羽となり、きれいな蝶が誕生します。その蝶が、教室の窓から自然の中へと飛んで出るのを見て感動したものです。

 

 このように蝶になるまでには、青虫の時代があり、さなぎの時代があり、暗い忍耐の時がありました。もしも、人間のおせっかいで、脱皮の時がこない前に、さなぎの皮を引き裂くと、きっと中の蝶は死んでしまうことでしょう。神様が定められた時の流れに身を委ねる、生き物がおりなす世界に、確かな神様の息づかいを感じ、人は小動物から教えられます。

 

川柳を作られたお母様は、人の一生はこのような脱皮を前向きに繰り返すようなものだと、歌ったのでしょうか。聖書の言葉を聞きましょう。

 

「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿に変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」第二コリント3:18

 

 栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく、何と素晴らしいお約束でしょう。青虫のような時があるかもしれない、さなぎのような時があるかもしれない、でも最終的には、輝く主と同じ姿に変えられていく・・これが、神様を信じる人々に約束された祝福です。

 

 日常の中においても、神様の霊が働いて、顔のおおいが取り除けられて、状況を越えて働かれる神様の力強い御手が見えるようになります。苦しみの最中にも栄光があることがわかるようになります。

 

 あの蝶が長い忍耐の後、空中に羽を広げて舞ったがごとく、私達も繰り返される人生の脱皮の後、天の都に向かって、大きく羽を羽ばたかせて舞い昇っていくのです。

 

 主の年2018年が明けました。この新しい年も、主のご用意くださる人生の脱皮を経験しながら、天の都への旅路を歩んでまいりましょう。