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2018年5月「忍耐は希望へと」


 「ああ!我慢が足りなかったために損をしてしまった」という事はないですか? 今月は忍耐の必要について、また神を信じ続ける忍耐は、揺るがない希望へと至る事を、ご一緒にみてみましょう。

 

 年月をさかのぼり、小学校に勤めていた頃の話です。教室の正面、黒板の上あたりに、「点滴石をもうがつ」という言葉を掲げていました。受け持ちの子供達には、水滴一粒でもたゆまず石の上に落ち続けると、石にさえくぼみができるのだから、どんな小さな事でも積み重ねが大切であり、努力と忍耐を忘れないようにと教えたものでした。

 

 この事は、いろいろな場合に当てはまります。たとえば、ピアノやギターといった楽器の練習でも、一日にたくさんの練習をして何日か休むという方法よりも、少ない時間ではあっても毎日かかさず練習するが、よほど効果があると聞いています。どんな習い事にも同じ事がいえるのでしょう。まさに、継続は力なりです。

 

あのオリンピック選手の華やかな舞台の陰に、どれほど人知れず気の遠くなるような練習がある事でしょう。また、自分自身の心との厳しく、長い戦いもあるでしょう。大きな一つの成果の裏には、それに見合った苦労があることを私達は忘れてはいけません。

 

 さて、聖書にも忍耐が大切である事が、次のように教えられています。

 

 だから、自分の確信を捨ててはいけません。この確信には大きな報いがあります。神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。」ヘブライ人への手紙10章36節

 

ここで「自分の確信」という言葉がでてきました。これは、神様を信頼する確信のことです。ある方には、目に見えない神様に信頼をよせることは大変難しい事かもしれません。でも、私達が生きていくのに大切な空気も、目には見えませんし、私達の心に力を与えて下さる愛情というものも、目にはみえません。ですが「そこに確かに存在する」ので私達の心が温かくなり元気づきます。

 

 同じように、神様も目には見えませんが、おられます。先の聖書の言葉は、その神様への信頼を捨てないように、それには大きな報いがともないますと教えています。大きな報いとは、神様のご用意くださる永遠の国、希望の国の事です。これは、地上に生きている時から、神を信じる者の心の中に生じる国ですし、ひいては死後にも招かれる永遠の国です。人は死んで終わりではありません。神様に信頼を寄せるものはいつの日か、今言ったような、神様の大きな財産を受けついでいくことになります。

 

今、物事がちっとも前に進まないと、いらいらなさっておられるかもしれません。いや、願ったのと反対に進んでいるかもしれません。悲しく、つらい事です。こうして、私達はしばしば忍耐と神様への信頼が試されます。

 

しかし、ここが肝要です。ぐっとこらえて、なお神様は悪いようになさらない、神様には隠された理由がおありだ、今私は忍耐の学校の生徒なのだ、と神を信じて受け止めるのです。人生には、一度ばかりでなく、幾度も試される経験が襲います。そうであっても常に、忍の一字、信の一字、で対応します。そのうちに、祝福の時が訪れて、希望の花が咲き始めます。忍耐を潜り抜けてきたこの希望こそ、真に揺るがない希望となり、私達を御国の花園へと招き入れてくれるのです。