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2018年6月「穏やかな老いを生きる」


 人は皆、年をとっていきますね。自分の老い先は、誰しも気になるものです。できれば穏やかに、平安のうちに年を重ねたいと皆、願います。

 

 わたしは海外の神学校で学んでいたころ、その学校が運営する高齢者施設でアルバイトをしました。そこを利用されているほとんどの方はアルツハイマーを患っておられました。私の仕事は、一緒に散歩に出かけたり、ボール遊びをしたり、時には日本文化の紹介をしたりもしました。

 

 元小学校の教師だった方は、すでにトイレの場所も水道の使い方もよく分からなくなっていましたが、とてもほがらか親切でした。またある男性は、故郷のノースダコタの昔話を、昔話ではなく現在のことと錯覚しながら楽しく話してくれました。

 

そうした中に、以前は教会の牧師をしておられた方がいました。すらりと背の高い方で、いつも帽子を愛用され、紳士的な雰囲気の素敵な方でした。この方は、施設にこられてしばらくすると「有難うございました。もういかなければなりません。教会の礼拝が始まります。」とか「そろそろ祈祷会が始まりますので、これで失礼します。」とか言うのです。わたしは「あのー、今日は、それはもう終りましたよ。」とか「今日は、それはないですよ。」と言いますと、「ああ、そうですか」と納得されます。しかし、ものの10分もたたないうちに、また同じことを質問がなされ、また同じ返事をするといった具合でした。

 

ある時、この方がお祈りをしたのです。具体的な言葉は忘れましたが、それは美しい感謝のお祈りで、私は感動してしまいました。このような病気にかかり、今起こったことはすぐに忘れるようになられても、神様への感謝と祈りはしっかりなされる事への感動でした。そこに神様のお守りをみたように感じました。

 

聖書には次のような言葉があります。

 

「あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出たときから担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。

わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」 イザヤ書46章3~4節

 

老後は誰しも不安なものです。病気になったらどうしよう、痛みに耐えられるだろうか?お金は足りるのだろうか、私を世話してくれる人はいるのだろうか? そして孤独に打ちのめされないだろうかなど、いろいろありますね。

 

そんな私達に、この神様の約束の言葉は、実に心強く語り掛けてきます。私達が、この世に誕生したときから、今日まで神様が私達を守り、導き、育ててくださった。そして、年齢を重ね、体のあちこちが痛むようになっても、神様が私たちをこの世に生み出したがゆえに、最後まで責任をもって担い、背負って、持ち運んで下さると約束しているからです。私達が決して1人で投げ出されたりはしないのです。

 

 この約束信じますか? 信じる心に平安が生まれます。私達の命の創造主なる神様への信仰が、あなたの心の中で確かなものとなりますように・・・。