バックナンバー

2018年8月「天国の保管物」


  あなたの宝物は何ですか? また天国で受け入れられる宝物があるとすれば、それは何だと思いますか? こんな話があります。

 

ある所に、一人の小さな女の子がいました。その子は、お爺ちゃんが大好きでした。でも、おじいちゃんは病気にかかり、このところ悪くなる一方でした。彼女は、遠くに住むお爺ちゃんにもう一度会いたいと願っていましたが、とうとう会う前に亡くなってしまいました。

 

その悲しみを癒すために、お爺ちゃんに手紙を書く事にしました。書いたその手紙を、ガスで膨らませた風船の中に入れて、天国のお爺ちゃんに届くようにと大空に放ちました。宛名のところには、「私の大好きな天国にいるお爺ちゃんへ」と書き、裏には自分の名前と住所も書き入れました。

 

 数ヶ月が過ぎたころ、女の子の手元に手紙が届きました。そこには、次のように記してありました。「あなたの手紙は天国のお爺ちゃんに届き、読まれました。でも天国では、手紙のような物を保管しておけないので、この手紙はお返しします。天国で置いておけるものは、愛情とか思い出のようなものだけです。あなたのお爺ちゃんを思う愛情はちゃんと保管されました。」

 

 さて、この話は、私たちが生きていく上で、本当に大切なものは何であるのかを教えているのではないでしょうか。聖書の言葉です。

 

「あなたがたは、地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さびが付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は天に積みなさい。そこでは、虫が食う事も、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出す事もない。あなたの富があるところに、あなたの心もある。」マタイによる福音書 6章19節~21節

 

 地上に富を積んではならないとありました。なぜでしょうか? 地上の富を求める心は限りがありません。何かが欲しい、欲しいと思っていて、やっと念願の物が手に入っても、そのうちに感動も薄らいで、また目新しいものが欲しいと思うようになります。更に地上の富を求める生き方は、自己中心的になりがちです。自分が満たされること、愛されることだけを求めます。この場合にも、実際に求めるものが与えられても、魂にまで響く深い満足感を得る事ができません。

 

地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さびが付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする・・・。ここで、勧められていたのは「天に富を積む生き方」です。始めに紹介した女の子の話では、天国で保管できるのは、愛情とか思い出とかいったものだと言っておりました。

 

皆さんの回りには、皆さんの小さな親切、一言の励ましの言葉、一通の手紙や一本の電話を待っている方がいるのではないでしょうか。私達は大きなことはできませんが、コップ一杯の水なら差し上げる事ができます。そして、差し上げた水により、自分の心も潤されます。神様が今、あなたの隣に置いて下さっている方はどなたでしょうか?