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2019年1月「『いつくしみ深き』と祈り」

 讃美歌の中で一般の方々にも最も親しまれている曲、それは「いつくしみ深き 友なるイエスは」で始まる讃美歌312番ではないでしょうか。私も、新しい方々が来られる集いなどでは、この曲を選曲することが多いです。一番の歌詞は次のようです。

 

いつくしみ深き 友なるイエスは 罪とが憂いを 取り去りたもう

  こころの嘆きを 包まず述べて  などかは下ろさぬ 負える重荷を

 

 「こころの嘆きを包まず述べて」とありましたが、これはお祈りの事ですね。2番、3番の歌詞にも「祈り」という言葉が出てきますので、曲全体が「祈ることがテーマ」になっているようです。この歌の作詞者はジョセフ・スクラヴィン。

 

 彼は1819年 アイルランドの裕福な家庭に生まれました。しかし、やがてカナダに移住し、その地で大変質素な聖職者としての生涯を送りました。結婚直前に婚約者の女性を突然の事故で失い、その悲しみの中から、その後の彼の生涯は貧しさにあえぐ人びとや、病に苦しむ人たちのために、何のみかえりも期待せず黙々と仕える、という気高い人生へと移っていったようです。彼はイエス・キリストに生かされた偉大な博愛主義者でした。

 

 さて、さきほどの讃美歌312番は、スクラヴィンが故郷アイルランドにいる病気のお母さんを慰めるために作ったもののようです。歌詞として整理される前の、彼の手による詩の言葉は次のようでした。

 

 「キリストこそ、この上ない良い友。私たちのあらゆる罪と悲しみを荷われる。祈りによってすべてのことを神に告げることができるのは何たる特権。おお、私たちがしばしば心の平和を失い、負わずともよい苦痛を負うのは、みな祈りによってすべてのことを神に告げないからである。」

 

 スラヴィンは病む母に向かって、キリストこそ私達の最良の友であること、だから苦しみをそのままに言葉にして彼に話せば、心に平安が送られてくることを教えたかったのでしょう。

 

神の人パウロも

「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」

 

とピリピ人への手紙4章6節、7節で勧めています。祈り、それは神様が私達に下さったかけがえのないプレゼント。それは時と場所を選ばないで、いつでも、どこででも、また誰でもできますね。こんなに自由で、こんなに便利で、こんなに効果的な不安解消法はありません。

 

 またハレスビーは、祈りとは、人間の側の状態うんぬんではなく、ただただ主の御名によるのだと、次のような祈りの手本を紹介しています。

 

「私には祈る資格がありません。生き生きとした祈り心を持っていません。また、祈ったことをかなえていただく何の値打ちもありません。神よ、あなたが私の心をごらんになるなら、まったく顔をそむけてしまわれるような汚れに満ちています。しかし、私のゆえでなく、私の祈りのゆえでもなく、私の罪に由来する悩みのゆででもなく、ただイエスのゆえに私の祈りをお聞き下さい。」ハレスビー著 『祈りの世界』p63 

 

2019年のスタート、この一年を通して皆さんも祈りの特権をフル活用し、日々の祈りを楽しまれますように。クリスチャンでない方も、天を仰いで「主イエス・キリストの父なる神様」と心を向けて祈るならば、神様はその祈りを聞いておいでになります。