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2018年11月「私の個性を生きる」


 人はそれぞれ皆、違った体格、性格、個性をもっています。でも、それを比べあったり、競いあう時、問題が起こります。

 

 ここは、動物達の学校です。駆けっこ、木登り、水泳、飛行などが授業科目です。ウサギは、駆けっこで優秀な成績を収めましたが、水泳が苦手。ウサギはそれを悲しみ、よし他の動物に負けないぞと、水泳の厳しい練習を重ねるうちにノイローゼになってしまいました。

 

 アヒルは、その反対で水泳が得意でしたが、駆けっこは苦手です。なかなかうまく走れません。上手に走ろうとあまりに一生懸命に頑張りすぎて、とうとう大切な水かきもぼろぼろになって、得意の水泳の成績も落ちてしまいました。

 

 クマは、木登りも水泳もいい成績です。でも、飛行の成績はさんざんです。上手に飛び回る他の動物をうらやんでいるうちに、すっかりストレスをためてしまいました。

 

 何だか気の毒なことになっているようですね。ないものねだりをすると、あるものまで駄目になってしまう・・そんな教訓が浮かんできます。また、改めて、皆違っていてよいのだ、ということを教えられます。

 

聖書の中では、よく似たことが私たちの体に喩えられています。

 

 「確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。たとい、足が「私は手でないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。

 たとい耳が「わたしは目ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。

 もしからだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もしからだ全体が聞くところであったら、どこでかぐでしょう。

 しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。」

                      第一コリント12章14節~18節

 

 ここから教えられる第一のことは、多くの器官を与えられたのは神様であり、しかもそれぞれは、み心に従って与えられたと言う事です。あの方、この方に違った性格や個性があるのは、神様の深い御旨によってそうなったのだということ、この事がわかりますと、あるがままの自分を受け入れ安くなります。また、頂いた長所を少しでも生かして生きていこうという勇気が沸いてきます。

 

第二に、私たちの体は、手足、頭、胴体、そしてまつげや爪にいたるまで、いろいろと違った器官から成り立ち、それらが互いに、違っているからどれも大切なのであって、同じものがたくさんあっても困るということです。また、いらないものは一つもありません。同じことが人間にもいえるわけですね。

 

あなたに与えられた、あなたの個性はどんなものでしょうか? 人がどう評価するかは気にせず、それが地味であっても派手であっても、神様が下さった個性ですから、それを楽しみ、そして感謝して生きていきたいものです。