今月のメッセージ

2019年10月「命のスタートは神!なのですから」


  子供達に早い頃から特別な教育を施して、社会で成功してほしいと願われる親御さんは少なくありません。子供の将来を思う親心ですね。しかし、遊びも惜しんで勉強、勉強にあけくれ、お友達よりも一点でも二点でも点数がよいことが生きがいになっているような子供に出会うと、すこし複雑な思いにさせられます。

 

 人がその生涯を通して豊かに生きるとはどういうことなのでしょうか?

 

 聖書の中にこんな言葉が出てきます。

 

「人はたとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら何の得があろうか?」マタイによる福音書16章26節

 

一般的な人生の成功者のイメージは、子供の頃から出来る限り多くのものを習得し、上に上にと上りつめていく姿です。しかし聖書は、人がたとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら何になろうか、と警告します。では、失ってはいけない自分の命とは何なのでしょう?

 

旧約聖書、コヘレトの言葉2章には、大変な豊かさを手にした一人の男性が登場します。その人は、伝統的にはイスラエルのソロモン王ではないかとされています。彼は大事業をなして成功し、エルサレムに住んだ誰にもまさって、大いなる者となって栄えた、と聖書は記しています。貴重な宝物や多くの女性達に囲まれ、欠けているものは何もないほどに繁栄しました。しかしその成功を手にした彼が、2章11節では、こう語るのです。

 

「わたしは顧みた。この手の業、労苦の結果のひとつひとつを。見よ、どれも空しく、風を追うようなことであった。太陽の下に益となるものは何もない。」 

 

誰しもが手に入れたいと願っている財産、名声、女性など全てを獲得したとき、彼が味わったものは全くの空しさだったのです。まさに自分の命を損じてしまうとは、こういうことです。彼は「コヘレトの言葉」という書簡全体で人が生きることの意味を問いながら、一つの結論を、最後に、こう述べています。

 

「すべてに耳を傾けて得た結論、神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ、人間のすべて」コヘレトの言葉12章13節

 

人間のすべては神に結びついている、それに早く気づき神に帰り、神の戒めに生きる人、それが人間の全てだ、と結論づけました。すると神に結びつかないとき、それは生きているようではあっても、実は命が失われているのだという事になります。人が全世界を手に入れるようなことがあっても、神に結びつかない命は失われている、そのように聖書は教えています。

 

ずいぶんと大胆な宣言です。なぜ聖書はこんなにも単刀直入な言い方をするのでしょうか? なぜならば人生は人間が中心ではないからです。人間は神によって生み出された者であって、すべては「神」からスタートしなければいけません。

 

もし人間からスタートしますと、洋服の最初のボタンを掛け違ったように最後まで間違った歩みになってしまいます。

 

 もし、まだあなたの人生に神様がご不在でしたら、今神様を受け入れて、人生をすっかりリセットなさいませんか?

 


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