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2019年7月「御言葉の洗浄力は抜群です」

 私達は日ごろお付き合いをする上で、相手に失礼がないように互いに気をつけている事柄があります。特に宗教上のことは気を使いますね。

 

イエス様がおられた当時、食事の前に手を洗うという事が、宗教上の儀式の一つとして言い伝えられていました。洗わないと健康に悪いからという理由ではなく、宗教上清くないとい教えです。手を洗う水の量とか洗い方まで決められていたようです。そして、守らない人は汚れた者と批判されました。

 

ある時、イエス様のお弟子さん達が、その言い伝えを守らず、手を洗わないで食事をしていました。案の定、宗教学者たちは「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えを破るのですか?」と非難しました。イエス様は即座に思いました。「彼らは外側のことばかりに気をとられて、本当に大切な人の心をないがしろにしている」と。そしてこう言われました。

 

「聞いて、悟りなさい。口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである。」 

                                              マタイによる福音書15章10節~11節

 

その事を解説して18節19節では「すべて口から入るものは、腹を通って外に出されることが分からないのか。しかし、口から出てくるものは、心から出てくるので、これこそ人を汚す。悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出てくるからである。」と教えられました。

 

 こうしてイエス様は、汚れる、汚れるといって人を非難している者の心こそ、罪深いものである事、実際のところ、人を汚すものは人の心から出てくるのだから、心をよく見張っているように、と諭されたのです。

 

これに関連して、私は昔こんな経験をしました。台所の流しのパイプが詰まり、いつもの10分の1くらいのスピードでしか水が流れません。そのうち汚い水が溢れ出て大変でした。パイプ掃除の洗剤「パイプマン」を、何回が流すうちにやっと解消して、もとの状態に戻ったわけですが、心にもこういうことが起こると思いました。

 

パイプが小さなゴミを流し込んでいるうちに、ついに詰まってしまったように、人の心も不平不満、人への批判、冷たい心や愛のない言葉、そんな罪を、無造作に心に流し込んでいるうちに、罪のゴミでパイプが詰まり、汚い心が噴き出してくる、ついには自分にも回りにも悪い影響を与えてしまうのです。

 

日々の暮らしに、台所の水まわりが順調であることは欠かせないことですが、同じく心の水まわりは生きていく上でより一層大切です。皆さんの心のパイプは大丈夫でしょうか? 心に溜ったゴミを、洗い流す方法はあるでしょうか?

 

はい、心のゴミを溶かす御言葉のパイプマンが活躍してくれます。ヘブライ人への手紙4章12節には「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、間接と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。」とあります。少しドキリとする言葉ですが、心を開いて神の言葉を受け入れる人には、御言葉による洗浄効果は抜群だと思います

 

「聞いて悟りなさい。口から入るものが人を汚さず、口から出てくるものが人を汚すのである。」願わくば、私達の心がいつも綺麗に保たれ、口から出てくる言葉が隣人にいつも、恵みと幸いをもたらすものでありますように・・・。